【ご報告】最愛の母、今までありがとう。
今朝(4月4日)の我が家のリビングです。
(昨日 投稿できなかったので、遡って投稿しています。)
生徒さんたちからもお花が届けられ、さながらお花畑の様相です。
どこから連絡がいったのか、たくさんのお花を届けていただきました。
本当にありがとうございました。
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わたしの最愛の母、海江田洋子が、4月2日の朝、安らかに息を引き取りました。
突然のことだったので、FRAISの皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
予定していたコンクールの最後の練習や、メイクレッスンは出来ず、
通常クラスはすべて晴夏先生のダンスクラスに変更となりました。
土曜日クラスも全て変更となりました。
4月1日の夕方、母の呼吸が止まってから、人工呼吸器の挿管、ICUでの一夜。
4月2日朝に亡くなった母を我が家に連れて帰り、近しい人たちと過ごしてまた一夜。
4月3日に自宅にてお葬式、出棺、小さくなった母を胸に抱き自宅に帰り、引き寄せの十日祭。
短い時間で葬儀諸々、多くの事柄を決めなければならず、緊張感が抜けない3日間を過ごしました。
この3日間が1年くらいの感じ。今でも夢のようです。
FRAISの舞台をいつも見に来てくれ、客席から大きな声でブラボーを届けてくれた
わたしの母のことを知らない人は、わたしの周りではほとんどいらっしゃらないと思います。
なので、母の最期を、皆さまにしっかり伝えていきたいと思います。
母が亡くなってすぐに神主様に「お母さまの性格などもわかるようなプロフィールを書いてください」とお願いされ、
急いで書いたものですが、こちらでもご紹介させていただきます。
(少しだけ内容を変えてお届けします。)
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海江田洋子、昭和18年1月18日、鹿児島県 加世田に生まれる
加世田高校卒業。学生時代は、新体操やダンスに励んだ。
本人曰く「体育館の床に、魚拓ならぬ、大の字の人拓ができるほど、汗だくになるまで練習した」、ほど体を動かすのが大好きだった。
教員だった夫綱彦(つなひこ)の良き妻、二人の娘の良き母として、勤め上げた。
夫の綱彦が大口の小学校の校長で、もうすぐ定年という年に、洋子52歳で脳梗塞を発症。
一命をとりとめるも、全身麻痺の体になり、車いす生活となった。
ちょうど孫しずかが生まれたばかりで「お父さんが退職したらどんなふうに過ごそう」と夢を膨らませていた矢先だった。
学校関係者にも得意の料理をふるまったり、種から株分けし丁寧に育てた花を、庭いっぱいに咲かせたり、とにかく、行動的で明るい性格だった。
突然の病に本人はどんなに落ち込んだかはわからない。
「わたしなんか生きている意味がない」と涙を流しても、不自由な身体では自分で涙さえふけなかった。
7年間のリハビリと入院生活と夫との暮らしを経た2003年、夫、綱彦が他界。
それを期に次女玲子家族と鹿児島市で暮らすこととなった。
「いつか娘と一緒に暮らしたい」というのが兼ねてからの夢だった。
そこから18年間、週3回の通所リハビリ、家族との対話、楽しい時間、によって、洋子はどんどん元気になっていった。
「絶対無理」と医者に言われていた「自分でトイレをすること」「自分で食事をすること」も、不自由な身体ながら工夫と根性で出来るようになった。
この18年間、洋子はいつも笑顔を絶やさなかった。
そして、「わたしはいつ死んでもいい。それくらい幸せ。だから私が死んだとしても笑って送ってほしい」というのが口癖だった。
病に倒れてから26年、生まれたばかりだった孫しずかは結婚し、今年のお正月、母の78回目の誕生日、は大人数で賑やかに過ごした。洋子はいつでも幸せの中にいた。
ただ、昨年の10月から、体に異変が起き始めていた。
「肩が痛くであげられない」と、今まで頼りにしていた左手が使えなくなってしまった。
病院で診察したり、リハビリしたり、マッサージしたり、いろいろ試みたが良い方向に進まず、とうとう、一人では本当になにもできなくなった。
家族は全介助で母の生活を助けた。
そして、それにも限界があり、3か月の間だけという約束で、1月29日からリハビリ専門の施設に入所。
「懸命にリハビリするも、なかなか成果が上がらず、逆に、後退している」とスタッフさんから連絡を受けたのが4月1日午後3時。
「FRAISの舞台が終わったら、迎えに行くから、それまで頑張ってくださいと、母に伝えてください」とスタッフさんに話すわたし。
その直後にスタッフさんが撮影してくださった動画のメッセージが送られてきた。
「わたし、頑張ろうと思っています。 だけど・・・どうかな・・・。玲子ちゃんの意向に添うように元気に頑張ります。」
その3時間後に、夕食後、トイレの前で心肺停止状態の洋子が発見された。
蘇生を試みて、いったんは脈が戻ったものの、1時間も心停止状態の脳と身体へ負担が激しく、一夜明けた令和3年4月2日午前8時58分に息を引き取った。
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家族は「いつおばあちゃんが死んでも後悔ないように」と接してきました。
家族だと、また毎日近くにいると、扱いがつい雑になってしまったこともあったかもしれません。
それでも母のあの笑顔をここまで守ってこれたことを本当に嬉しく思います。
このコロナ禍の中、人生の最後の最後の2か月間、
家族に会えず、どんなに不安で寂しかっただろうと思うと、それだけが無念です。
母と接してくださった方は全員、「可愛い笑顔」しか浮かばないでしょう。
最後の最後まで明るく、強く、可愛く、温かく、本当に素晴らしい人でした。
この世で役目を終え、大好きだったお母さん、テルさんにやっと会えますね。
78年間、お疲れ様でした。
わたしたちに沢山の笑顔と優しさをありがとうございました。
母の愛に心から感謝します。
そして、なによりも 生前、、母と一緒に笑ってくださった皆様に感謝いたします。
ありがとうございました。
徳田玲子
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