(プライべート話)2019年、節目の年です。★長いのでお時間ある方だけ寄ってってください(笑)
体調管理にはとても気を遣っているわたしたち家族です。
(美里においては「健康オタク」と言っても過言ではないほど。今回、体調を崩してしまったことは猛省。。。)
昨年は身近な人が若くで亡くなったり、重い病気にかかったりと、悲しい出来事がたくさんありました。
「昔はこんなじゃなかったよね。それだけ自分たちも歳を重ねたという証拠だね。」という話にもなります。
気持ちは20年前と全く変わらなくフレッシュですが(笑)、いろいろと気を付けなければならないお年頃ではあります。
さて
わたしにとって、2019年は節目の年です。
まず、生まれて半世紀を迎える年であるということ。
そして、母のお世話をして16年目であるということ。
生まれてから高校2年生までの16年間、わたしは両親と暮らしました。
母の作ってくれた食事を美味しくいただき愛情いっぱいに育ちました。
その後わたしはおよそ6年間の一人暮らしを経て結婚しました。
父が教職を定年退職する半年前「これから自分たちだけの人生を楽しもう!」と張り切っていた矢先、
52歳の母は脳梗塞に倒れました。
1か月間意識不明で生死を彷徨った母は一命こそとりとめましたが、「全身麻痺」という重い障害を残すことになりました。
ベッドに横たわる母は「虫けらのようなわたし、死ねばよかった」と不自由な言葉でとぎれとぎれ言い、自分が流した涙を拭うことさえできませんでした。
わたしは26歳。しずかが生まれてまだ5か月めのことでした。
母は料理上手で、お客様に冷蔵庫にある食材でご馳走をふるまうのが得意でした。
昔の母を知る人は母の作る料理をまず思い出すことでしょう。
幼き頃は、パンもおやつも全て母の手作りでした。
特にロールパンやシュークリーム、プリンなどは絶品。今もその味を忘れることはありません。
洋裁も得意で自分や家族の洋服は母の手作りでした。上等な生地の洋服の着心地は幼き頃に覚えました。
そして、運動能力の高い人でした。若いころは新体操部で表彰されるほどでした。
ソフトボールではキャッチャーを。バレーボールも得意でした。
スポーツ(特にボール系)が不得意なわたしの目には、母の雄姿は眩しかったものです。
お花や野菜を育てるのが生きがいでした。
玄関には1年じゅう季節の花が咲き乱れ、自慢の本格的な畑にはわたしの大好きなトウモロコシやイチゴまで育てていました。
母と母の周りはいつも全てが輝いて見えました。
そんな母がある日突然身体の自由を奪われ車いすの生活を余儀なくされました。
しかし「もし生還したとしても植物状態でしょう。」とお医者様に言われたときの絶望感を思い出すと、
退院後「車いすでもちゃんと人間らしい生活ができる!」という喜びはわたしにとって希望そのものでした。
(これまでの母を知っている方から見ると、母を見て涙しかありませんでしたが、、まあ当然と言えば当然です。)
7年にわたる厳しいリハビリと入院を経て、父が亡くなったことをきっかけに、母はわたしと生活をすることになりました。
母はわたしと暮らすことが夢でした。
しずかは小学2年生、かのんはまだ幼稚園生。
いままでの入院生活を考えると、孫と暮らせる生活は母にとって夢のまたその上の夢のようなものだったと思います。
わたしは、「これまでの母の悲しみや苦労を全て払拭できるよう、幸せだと思ってもらえるよう、精一杯がんばろう」という決意のもと、母を迎え入れました。
そこからの16年。
子育てと家事と仕事をしながらの一級障碍者の母の世話というのは、今振り返ってみれば予想以上に大変でした。
疲れすぎて、夜、涙があふれて、眠れない日もしょっちゅうでした。
ストレスで半年間生理がとまったり、急性胃腸炎で入院したこともありました。
外出していても、母のことが気になり、心が解放されることはありませんでした。
これは経験した人にしかわからないだろうと本当に思います。きれいごとではないのです。
ひとことでは語れないつらい出来事もたくさんありました。
だからと言って不幸なわけではありません。
これまで母が毎日しあわせにしていてくれることが一番であったからです。
家族の助けも大きく、年々みるみる回復した母はお医者様から「奇跡の人」と絶賛されました。
(母の筋トレなどの努力は一番なのですが・・・!!
特に血液がサラサラなそうで・・これはうれしいですよね。)
母がわたしを育て暮らした16年と、わたしが母を看て暮らした16年。
ちょうど同じころになりました。
6年前には夫を亡くしたりと、なかなか波乱万丈に時が過ぎていきましたが、
今年はわたしは50になる年。そして末っ子のかのんは明後日、成人式。
そろそろひとつの役目を果たしつつあるかな、という気持ちもあります。
そんなこんなで今年は感慨深い、記念の年なのであります。
(奇しくもFRAISも20周年!!)
私が母を看て暮らした16年。
この16年は、本当の意味で母がわたしを育ててくれたように思います。
2019年、ここから先は、母に恩返しのつもりで過ごします。
そして、そんな生活を一日でも長く続けられるよう、
健康に気遣いつつ、いつも感謝の気持ちを胸に
自分のしあわせも大切にしていきます。
ーもし生きていたら83歳になるはずだった父のお誕生日に寄せてー
玲子
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